ハイ・ジカ

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ハイジカ

タメになる事・ムダな事。僕の人生はどちらも必要な「ハイイロなジカン」

日本語の終わりを司るモノ「ん」 - その謎について。

 

「しりとり」

 

 

「りんご」

 

 

「ごりら」

 

 

「らっぱ」

 

 

「ぱんだ」

 

 

「だんべる」

 

 

「るぱんさんせいのでばん」

 

 

「ん?......「ん」かぁ......んー........」

 

 

 

 

「んじょも」

 

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ということで、日本語には「ん」ではじまる言葉がありません。

 

っていうか、「ん」という発音から始まる言葉。海外にしても、アジアでもほとんど見当たらない、それどころか西洋では全くみないそうです。

 

これだけではありません。

「ん」という文字には、

 

日本橋はなぜ「Niho"m"bashi 」なのか?なぜ"n"ではなく"m"なのか。とか、

「ん」は日本語で50音の中に唯一入らない音。とか、

日本語の源流である、中国語には「ん」なんて文字がそもそもない。とか、

「ん」という文字はそれ単体では成立しない。とか、 

 

「ん」には不思議な点がたくさんあります。

 

それをわかりやすく解説しているのが本書。

 

『ん 日本語最後の謎に挑む』 山口 謠司 著

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です。

 

 「ん」の音は下品

「ん」の成り立ちとかに関しては、詳しい説明を本書に譲るとして、

 

この文字の持つ特質性に着目してみます。

 

皆さんは「清音」と「濁音」という言葉を聞いたことありますよ・・・ね?

 

50音の「あ」~「を」が「清音」。文字に「」のつく「が」~「ぼ」が「濁音」。

では「ん」という文字はどちらに含まれるのでしょうか?

 

ところで、西洋では日本人の「んー」という曖昧な返事が「嫌いだ」とする傾向があるんだとか。

著者の奥さんもフランス人で、そう主張している。

 

日本では古来、「濁音」は昔から純粋な50音の「清音」と比べて、卑しい印象がどうしてもついてしまう。「ん」が混じると濁音になる部分があるので、「ん」も濁音と同列とみなされていた。(ちなみに冒頭の"Nihombashi"もすぐ後ろの"b"の音に合わせて、"n"が"m"に変化した事によるヘボン式に則ったモノ)

 

女流作家代表の清少納言も、「ん」の発音には品がないという考え方があったみたい。

 

現代でも「ボンクラ」「残飯」「煩悩」「愚鈍」「貧弱」「下品」「平凡」とか、確かに「濁音」と「ん」が入ってるモノは" 残念 "なイメージが多い印象。

 

他にも、「んあっ」とか、「んんんんんー」とか、「あんっ」とか、「いやんっ」とか、「ぱおーん」とか。

 

「ん」が入ってる擬音語は、なんだかいけない気持ちがしてきませんか?(親しみを込めた微笑み)

 

 実はこれには理由があります。

 

元々、「ん」の発音は発声する際、口内が最も不自然な形になって発せられるそうです。

 

つまり、「ん」は生物学的には最も不自然で気持ちが悪い音なんだとか。

 人は無意識の内に、自然ならざる音になんともいえない不思議な感覚を、抱いているのかもしれません。

 

 関係あるかどうかわかんないけど、携帯のバイブ音とかが嫌な人ってこれが関係するのかな?あっちのバイb

 

「ん」は宇宙の終焉を司るマントラ

 

「ん」には宇宙の真理が詰まってる。

間違いありません。

  

 

正しくは「吽」で、空海さんがそう仰ってます。

 

平安時代当時、唐(中国)は世界の中心でした。

 

遣唐使であり、真言宗の開祖でもあった空海。彼は著書の『吽字義』で仏法の極意として、「阿吽」の概念を提唱しています。

「阿」とは宇宙の始動。「吽」とは宇宙の終焉であると。

 

ホントにビックリですね。

 

何がって、↑の見出しとの落差がありすぎて......。

 

仏教の本場はインドです。サンスクリット語(梵字)が盛んで、当然仏教の極意の伝授もこの言語で言い渡されます。

 

空海さんは天才でした。20年の修行のための滞在予定期間を、たった2年でマスターして日本に帰ってきます。

 

日本に戻ってきた空海は真言宗を開きます。 時を同じくして、日本から戻ったきたのが同じく遣唐使の最澄です。

 

彼はとてもまじめな秀才で、なんと空海の元に仏法の教えを乞いに行きました。すると......。

 

 

空海「ざけんな(#^ω^)」

 

 

努力家の最澄はめげずに天台宗を起こします。

 

その後、最澄が猛勉強して辿り付いた境地は、空海が開眼した「吽」の境地と多くで一致した様です。

 

天台宗は当時の日本シェア率No1でした。皮肉な事に、最澄の弟子達によって空海の「吽」は日本の多くに広められた。と本書ではあります。これが現在の「ん」の源流です。

 

この二人がいなければ、現在の「ん」という概念そのものが、別のモノになってたかもしれません。

 

中学教科書に載るだけあって、やっぱりスゴイ人だったんですね。

高校受験の時「高野豆腐の真空パック」「ヒエェー天才」とか言って語呂で1セットで覚えてたの、なんかゴメンな......。

 

「ん」という一つの文化を知る。

 

 本書では「ん」という文字について、

空海の「吽」の起こりから、「ん」を構成する三つの発音。 

そして、それを他の記号を使って当てはめる仮名遣いの経緯。

それが現在の「ン」のプロトタイプである事。

江戸時代の「ん」の流行と、本居宣長の論争。

現代文学における「ん」との距離感。

「ん」の発音を10種類の音に聞き分けられた、500年に一人の耳を持つ博士の話。

 

など、余すことなく語られています。

本書では、空海・最澄の事も含め、「ん」という文字から見える、一つの歴史の側面が描写されています。

 

高校時代は世界史専攻だった僕。

そんな僕でも本書は面白可笑しく読めました。

 「ん」という文字にについて妙な親近感を持てた様な気がします。

 

 Honjane-!

 

 

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