ハイ・ジカ

ハイジカ

タメになる事・ムダな事。僕の人生はどちらも必要な「ハイイロなジカン」

魔術のささやきはどんな人が聞こえるのか。

11回目の本ビューね。

 

先に言っておくと、結論としては作品自体はオモシロかったんだけど、

 

正直、ブログの出来が今一つ自分の中で煮え切らないモヤっとした感じになっちゃってます。

 

ホントに話は面白いだけにうーん、くやしい。

 

んっ?いつものコト?

 

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『魔術はささやく 』

宮部みゆき 著 (新潮文庫)

 

 

" ささやき "に翻弄される人々。 

 作品の序文。

冒頭。二人の女性の事故死を報じる新聞記事と、その事故の様子を伝える情景。

 

そして、三人目の女性がある夜、不意に道端で「何かに追われている」という強烈な感覚に襲われる。それから必死に逃げて 、逃げて、目指した明かりの先は......。

 

日下守(くさかまもる)は私立高校に通う高校生。14年前に父親 は市役所の公務員だったが、職場での公金横領が発覚。行き先を告げず失踪。母親は父親を信じてその帰りを待っていた。しかし、やがて脳血栓で還らぬ人に。一人になった守。そこに叔母(母親の姉)の誘いにより、叔母一家の家に住み込ませてもらうことに。以来現在に至るまで大造(叔父)、より子(叔母)、真紀(娘)の三人と寝食を共にしている。

 

ある日タクシーの運転手を生業にする叔父の大造が、一人の女性を撥ねてしまう。

 

目撃者は見つからず。「信号は青だった。」という大造の発言もむなしく、重大な過失という事で大造はそのまま逮捕されしまう。

 

 

さて、大造が轢いたのは、どうやら冒頭で逃げていた女性の様。

 

この事件を期に守は学校では殺人犯と同一扱い、ってか父親の横領の件で、実は前の学校でもいじめの対象になっていた。

 

既に本作の主人公の守がかなり悲惨で、大分痛々しい感じです。っがまだ終わりません。

 

家には険悪なムードが流れる様に。

 

先方に謝罪に行った叔母のより子は、モノを投げつけられ顔面を負傷して帰ってきます。

 

さらには、世の中からは" 殺人犯の家族 "呼ばわりされ、家に中傷の電話が鳴り響く始末。

 

なんという不幸......。 

 

しかしながら、その中で一つ奇妙な電話の声が。

 

 

「本当にありがとう。あいつは死んで当然だったんだ。」

 

あいつとは、事故で死亡した女性、菅野洋子のコトでしょうか?

 

これを機会に不信に思った守は行動を起こす事に。

 

すると、今回死亡した菅野洋子は、何やら曰くあり気な二流雑誌に出演した過去を持ち、その時に多額の報酬を得ている事がわかります。

 

そして、守がその雑誌を編集した元編集者にコンタクトを取るあたりから、物語は急速に加速します。

 

・先の二人の事故、そして今回、さらには新たにもう一人の女性。それらを結びつける "二流雑誌 "の存在。

 

・影から守の様子を伺う人物。

 

・奇妙な電話の声の主

 

・14年前の事件
 
・拘留中の大造
 

・途中から、 ごく自然な流れで当たり前の様にピッキング(鍵開けの技法)を使い始める守。(その経緯に関する説明はちゃんとあります。)

 
 
これらが絡み合って物語の進行していくにつれ、事件の真相と共に徐々に明らかになります。
 
とまぁ、だいたいの内容はこんなもんかな? 

出来る限り簡潔にしようと思ってるんだけど、こればっかりは、記事書いてるヤツの文章能力次第だから、どうしようもないよねー。ハハハハハハッ ドォウッ!?

 

実際、要素的には守の学校の話とか、バイト先の色々とか、結構分量としてはあるイメージなんですが、

僕の場合、守が錠前破りしはじめる辺りから、ノンストップが止まらない感じでした。
 

テーマは人間社会の「魔」

本書のテーマは「魔」だと僕は解釈します。
 
さて、「魔」とはなんでしょうか?
 
作中の「魔」をつかった興味深い箇所。
 
ある時、守のバイト先で女子高生が本の万引きをします。それは未然に防がれる事になるんですが、その学生の処分が退学になるだろうというやりとり。その情景で「出来心」でやったという表現を、「魔が差した」という言い方に態々言い換えています。
 
このシーンは、後々犯人の直接の犯行動機に繋がるシーンの布石になっています。(2週目で気づいたヤツ)
 
また、『魔術はささやく』というタイトルそのものも、ちゃんと(?)犯人の犯行に深く関わっています。
 
人間の心の中にある得体のしれないドス黒いモノを「魔」というなら、本書の場合それは"正体不明なモノへの恐怖"もしくは、"無意識の中の罪悪感"とも"心の闇"とも言えるかもしれません。
 
物語の進行を通して、登場人物達はこの「魔」に翻弄され、支配され、時に心の拠り所にします。守はこの「魔」と対峙し、最終的にはこの「魔」のあり方を迫られるコトになります。
 
人の人格というものは、多方面からみないとなかなか分かりづらいモノ。
物語を追ううちに、ある登場人物に対しての感じ方が、180度ひっくり返され、その後、多分別のところでもう180度ひっくり返ります。それが出来るのも、この作品による「魔」の所業なのかもしれません。このあたりの人間描写が実に面白い。
 
 
物語自体は1980年代の話で、本書は平成元年に刊行されました。当然スマホどころか携帯電話もあまり普及していない時期の話なので、そこらへんの時代のズレが多少ありますが、そんなの気にならない程スラスラ読めます。
 
余談ですが、ドラマ化もされている様です。大分改変されているみたいだけど......。
 
ホンジャネ。
 

 
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